筆者自身が添乗員として、実際に訪れた美しい村を紹介する記念すべき第1回目は、やはりリムーザン地域圏、コレーズ県のコロンジュ=ラ=ルージュから始めたい。
それは、この村には「フランスの美しい村々」の本部があり、その活動の発祥の地であるからだ。
いったい、「フランスの最も美しい村々」の魅力とは何なのか?
今まで訪れた村をひとつずつ取り上げながら、筆者が魅了された各村の魅力を紹介する。
「フランスの最も美しい村々」に魅了されたきっかけ
最初に訪れたのは1996年、もう20年以上も前のことだった。
スケッチツアーの添乗員として訪れたその時は、自分が「美しい村を訪れている」という意識は全くなく、単にスケッチのモチーフに合っているかどうかだけが意識の中心にあった。
当時は、添乗員としてもまだ経験が浅く、単なる観光とは違う「スケッチ」という明確な目的を持ったツアー参加者に、いかに訪れた村をアピールできているか、また、参加者が絵のモチーフとしてその村を「描けて」いるかどうかということばかりに集中していた。
ツアー日程は、ロカマドゥールやカオールを宿泊拠点に、コロンジュ=ラ=ルージュ、オートワール、サン=シル=ラポピーといった、ミディ=ピレネーの美しい村を巡る約2週間だった。
しかし、極端な話、帰国してからその存在に改めて気づいたくらいだった。
結果として、後日これらをモチーフとした作品が、いくつも絵画展に出品されたことを見ると、確かにツアーの目的は達成できた。しかし、その後の筆者の記憶には、これらの村が単なる「絵になる村」としてしか刻まれなかった。
その後、起業して自らの会社をつくり、単なる添乗員だけではなく、同時にツアーを造成し営業もする立場になった。
ツアーとして販売するのは、やはり会社員時代から携わってきたスケッチツアーがメインだ。
ツアーを企画する際、どんな町や村がスケッチに合うのか、言い換えれば、参加する人たちのモチーフに合うのかを模索しているうちに、古い資料の中からふと、「フランスの最も美しい村々」に辿りついた。
まだ、資料がインターネットと書物が半々だった頃だ。山のようにある資料の中から、町と町をつないで日程を作っていくツアー造成は、非常に骨の折れる作業だった。
しかし、「フランスの最も美しい村々」に登録されている村のリストから、ツアーで周遊できそうな地域を選び、その地域にある美しい村々をつないで行けば、比較的楽にスケッチツアープランを造成できる。
最初は、そんな「よこしまな」気持ちで調べ始めたのだ。
起業後、初めて催行したフランスへのスケッチツアーは、ブルゴーニュの美しい村をめぐるツアーだった。
自ら造成したツアーに同行し、ミディ=ピレネーとは違う「フランスの最も美しい村々」を自らの目で確かめた時、
「美しい村を繋げば、簡単にスケッチツアーができる」
といった、自分のよこしまな気持ちは、どこかに吹っ飛んでしまうくらい、改めて「美しい村」に魅了されてしまっていた。
ただ、直感的に「美しい」、そう感じるのが「フランスの美しい村々」に登録された村なのだ。
厳しい登録基準などは、訪れる者にとってさほど関係はないが、村の美しさを裏付ける重要な要素であることも、後々知ることになる。
赤煉瓦が美しい村、コロンジュ=ラ=ルージュ
ミディ=ピレネーをめぐるスケッチツアーで、最初の宿泊地ロカマドゥールから、最初のスケッチポイントとして日帰りで訪れた美しい村は、偶然にもこの組織の本部がある、リムーザン地域圏コレーズ県のコロンジュ=ラ=ルージュだった。
まさに、最初のツアーで最初に訪問した美しい村だ。
その時を含め、コロンジュ=ラ=ルージュには2回訪れている。
サンティアゴ・デ・コンポステーラ巡礼路にあるロカマドゥールを経由して、巡礼者がよく訪れるそうだ。上画像のように、巡礼者の証、帆立の貝殻のマークがこの村にもある。
バスは、コロンジュ=ラ=ルージュを一望できる道路わきに停車した。
道路から村の中心まで、緩やかな下り坂の一本道が続いている。その名前通り、村中が赤煉瓦色の壁と、黒光りするとんがり屋根の集合体だ。
周りを緑に囲まれ、この村は赤く浮かんでいるように見える景色は、同じく赤煉瓦を使ったモスクワの「赤の広場」とは明らかに違う。
赤と緑のコントラストは、直感的に「美しい」と思った。
さっそく、その一本道を進んでみる。
フランスもイタリアもそうだが、村というくらいだから、ほとんどは村全体の規模が小さい。この村も、10分も歩けば村の反対側に行きつく。
歩き始めてすぐ右側に、他の民家と変わらない小さな建物にツーリストオフィスらしき事務所が入っている。
初めて訪れる村では、必ずツーリストオフィスで村の地図を入手し、ツアー参加者に配るのが最初の仕事だ。
会社への持ち帰り資料として、人数分より余分にくれる気前の良い村もあれば、数枚しか用意していないような本当に小さな村もある。
それでも、フランスの田舎ではだれもが親切だ。こちらの人数を伝えると、その分コピーしてくれる。
そして、このツーリストオフィスが「フランスの最も美しい村々」の本部を兼ねた事務所だった。
フランス全土の美しい村を取りまとめる組織の本部だから、もっと大した建物かと想像していたが、なんてことない小さな事務所だ。
道の反対側には、小さな土産物屋が1軒。
煉瓦と同じ土を利用したであろう、陶器製の小物を販売していた。日本でよく見かけるような、星座ごとのペンダントがあったので、土産としてひとつ購入してみた。
続いて、一本道をさらに奥へ進む。
「Auberge Benges」と書かれている、鉄製の看板と街灯が見える。宿泊出来るホテルはないと聞いていたのだが、少人数向けのオーベルジュならあるようだ。
「フランスの最も美しい村々」発祥の地
「フランスの最も美しい村々」は、その遺産の重要性、村の区画整備状態、遺産活用の適正度により認定されるもので、基準を満たした村だけが登録される。
基準に満たないと判断された時には、例え登録後でも登録を外されることもある。
それぞれ特徴があり、一概に「美しい村とはこういうものだ」ということが出来ない。
コロンジュ=ラ=ルージュは上述の通り、村中が赤煉瓦の家並みで統一された村だが、この煉瓦に秘密があった。
この村では、リムーザンで産出される「コロンジュ土」という赤土で作られる煉瓦以外、建物を建てることに使用してはいけないという厳しい決まりがあった。
そして何より、「フランスの最も美しい村々」はここ、コロンジュ=ラ=ルージュから始まったのだ。
最初に訪れた時はそんなことは全く知らず、後々参加者へ案内するにあたり調べたことで、この村の重要性がわかったのだった。
そのことを十分に理解して再び訪れた時、コロンジュ=ラ=ルージュは、以前とは違った趣を感じた。
初めて訪れた時は春の曇天、そして2度目は薄日ながら、午後には秋の爽やかな日差しも降り注いでいたことがあったかもしれない。
また、約10年をおいて訪れた2度目には、ずいぶんと観光客も増えていた。
例の一本道は、土産物屋を除く人々が行き来し、オーベルジュの看板の奥にあるちょっと隠れ家的なレストラン(ここは2回ともランチに利用した)も、ずいぶんと混み合っていた。
自分だけの隠れ家がオープンになってしまったようで、ちょっと残念だった。
電車やバスといった公共の交通機関で訪れるのは少々難しいコロンジュ=ラ=ルージュ、フランスの美しい村を巡りたい人ならまず訪れるべき村だろう。
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