カステルビアンコ
筆者自身が添乗員として実際に訪れた美しい村を紹介する第6回目は、リグーリア州サヴォーナ県のカステルビアンコとズッカレッロだ。本来訪れるべきだったカステルビアンコと、予定になかったのに立寄ったズッカレッロ。この2つの村を訪れた経緯を交え紹介する。
復元された村 カステルビアンコ
リグーリアの美しい村々をめぐるプランにこの村を入れたのは、「先住民からは完全に見捨てられていたが1900年代半ばに発見され、石造りの家から狭い道までが古代美学そのままに見事に復元された、絵のように美しい村」という短い記述とリグーリアの山を背景にした村全体の写真だけが理由だった。
確かにこの周辺の村々の色合いとは違う壁と、イタリアには珍しい角ばった家並みに興味をそそられた。スケッチを目的としたツアーであったし、また宿泊せずガレッシオからトリオラへの移動途中の立ち寄りだから、このような村も少し毛色が変わって面白いかもしれないと思ったのは事実だ。
そしてこの周辺の半径5キロ以内には3つのCから始まる美しい村、カステルビアンコ、コッレッタ、カステルベッキオ・ディ・ロッカ・バルベーナがある。さらにはその間にズッカレッロもあった。プラン造成の際この中からどれを選ぶか散々迷い、結果カステルビアンコを選んだのだった。
訪れる当日は小雨交じり、重たい雲が空を覆っていた。バスは相変わらずリグーリアの山間の道をくねくねと進む。
ガレッシオから小1時間でバスはズッカレッロに辿りついた。ここならトイレ休憩を取れそうと思い、急きょ止めたのだ。そのときズッカレッロはとても小さな村だと思っただけだった。
その後やはり小雨が降り続く山道を進み、30分ほどでカステルビアンコに到着した。そこはツアー造成時に見た写真からはわからなかった、やけに真新しい村という印象だった。
スケッチをする人にとって、新しい建物はモチーフにならないことが多い。「失敗?」という疑問が頭をよぎる。
訪れるところ全てがツアー客全員に気に入られることはなかなかない。それでも絵になるところであればプランに組み込んでもほぼ成功といえるのだが、ごく稀に「こんなところでスケッチは出来ない」とはっきり言われるようなところもある。果たしてカステルビアンコはそうなってしまうのか?
小雨が降っていたこともあり、バスを止めたところで一足先に村全体を見に行く。今までの経験では「イタリアの最も美しい村々」は入り口で躊躇することはあっても、村の中心まで行けば必ず絵になってきた。そんな期待に望みをかけて、絵になりそうなところを探す。
しかしながらどこもかしこも石組みの家並みは真新しさが目立ち、素人目にも絵になりそうとは思えなかった。ついにはツアーオーガナイザーと相談し、それなら先ほど立寄ったズッカレッロに戻ろうということになった。
カステルビアンコがなぜ「イタリアの最も美しい村々」に登録されたのか?そのときは全く理解できなかったが、その後調べてみると下記のような歴史があることが分かった。
この村の名前が文書に残されている最古としては、1200年代にさかのぼる。かつてはこの周辺の渓谷一帯を警備するクラヴェザーナ公爵の城があったため、この名前がついた。その後ジェノバの侵略の影響を受けながらも村は栄え、1800年代初めには人口も最高に達していた。
ところが1887年、コッレッタ周辺を震源とする大地震でカステルビアンコの村は崩壊し、住民は他の村や町へ避難してしまい戻ってくることがなかった。
その後、1900年代に入りGiancarlo De Carloという建築家をプロジェクトリーダーとして村の復興が始まり、イタリアで最初の「Borgo Telematico Italiano(移動体通信システムを利用した村)」として復元された。
将来的には、遠隔操作で村を平和に維持することが出来るように設計されたテストケースの村のようだ。インターネット、衛星テレビ接続、電話交換機を村に網羅し、WI-FI完備のバールや、コングレスセンターなどがある。
このように過去の惨事から将来を見据えながら復元されるということも、見た目だけではわからない登録理由なのかもしれない。
現在公式サイトではコッレッタ・ディ・カステルビアンコと、2つの村を総称して美しい村として登録されている。
ロマネスク様式の石橋が美しいズッカレッロ
バスはカステルビアンコから再びズッカレッロへ。
ここは川に沿った1本道がメインストリートになっていて、そのまわりに迷路のように路地が入り組んだ村だ。さっそく村の入口からその1本道を進んでみる。けれども路地に入らない限り、10分も歩けば反対側の入口に辿りついてしまうほどの短さだ。そして、メインストリートには特に顕著な絵のモチーフはない。
そこで路地に入ってみた。
ズッカレッロは片側に川、反対側は山がすぐ近くまで迫ってきている細長い村だ。まずはその山側へ。すると先ほどのカステルビアンコとは違い、イタリアらしい石造りの家並みが、狭い路地にひしめき合っている。路地は途中途中に石造りのアーチが並び、これはモチーフになりそうだ。
でも、それだけなら他の普通の村にもある。この村が美しい村に登録された理由は何か?
それを求めながら、今度は反対側の路地に入ってみる。ある路地のアーチをくぐった瞬間、石造りの見事な橋が見えた。「なるほど、これか」と思った。この小さな村のたった一本の石橋を目指して、常に観光客が訪れるそうだ。これだけで訪れた甲斐があった。
この村も、カステルビアンコ同様クラヴェザーナ公爵によって開かれた城がもとになっている。今では城壁の名残が多少残っているだけだが、こんな小さな村もかつては城砦都市だった。
とても小さい村ながら、メインストリートでは結構な数の住民と行きかう。小さい割には人口が多いのかもしれない。あるいは、その何割かは自分たち同様旅人なのかもしれない。曇天で壁の色はくすんでいたが、思ったよりイタリアらしい明るい村なのだと思った。きっとカステルビアンコを訪れた時の、人っ子ひとり見かけなかった侘しさが余計そう見せているのかもしれない。
遠くにツアー造成の際選考から外れたカステルベッキオ・ディ・ロッカ・バルベーナが見えたので、望遠で撮影した。
宿泊するホテルもB&Bもない本当に小さな村だが、どちらも美しい村だ。
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